先週来、フリージャーナリスト橋田信介さんの話題を時々掲載させて頂きました。
今朝方、新聞(インターネット版)で、親族が身元を確認されたと知りました。
とてもつらいことですが、現実を受け入れましょう。
橋田さんは、自らの壮絶な死に様をもって、日本中に、そして世界中に戦争の悲
惨を知らしめました。
壮絶な死に様は、壮絶な生き様の結晶でもあります。
戦場カメラマンとして最高の生き方を完結したということです。この世での使命
を全うしたのです。
橋田さんの死に触れ、同じベトナム戦争を橋田さんがいたハノイとは反対側のサ
イゴンから報道した元産経新聞記者・近藤紘一(故人)さんのこと、そして、近
藤さんの葬儀の時に司馬遼太郎(故人)が読んだ弔辞のことが頭に浮かびました。
司馬さんは近藤さんの事を語っているのだが、それは橋田さんのことでもある。
改めて読み返し、そのように思いました。一部抜粋しますので御一読ください。
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『君はすぐれた叡智のほかに、なみはずれて量の多い愛というものを、生まれ
つきのものとして持っておりました。
他人の傷みを十倍ほどにも感じてしまうという君の尋常ならなさに、私はしばし
ば荘厳な思いを持ちました。そこにある人々が、見ず知らずのエスキモー人であ
れ、ベトナム人であれ、何人であれ、かれらがけなげに生きているということそ
のものに、つまりは存在そのものに、あるいは生そのものに、鋭い傷みとあふれ
るような愛と、駈けよってつい抱きおこして自分の身ぐるみをあたえてしまいた
いという並みはずれた惻隠の情というものを、君は多量にもっていました。
それは生きることが苦しいほどのりょうでありました。』
(目撃者―「近藤紘一全軌跡1971~1986」近藤紘一著 沢木耕太郎編 文春文庫
から抜粋)
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橋田さん、お疲れ様、そしてありがとう。
貴方の愛情深い精神は、貴方の友人に加えてもらった私達のなかに生き続けます。
2004年6月3日
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