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連載コラム「人間へのはるかな旅」第三部

■■第35回「プルメリアの伝説...その1」■■

2004/06/22


1996年11月 アユタヤ
その頃、私はバンコクの北65Kmアユタヤにある某大手メ一カ一
の工場に勤務しておりました。
私のいた会社では毎年12月、お世話になった協力会社さんをご
招待して、感謝のパ一ティを開くことを恒例としております。
その年は約80社の協力会社さんをご招待し、12月15日にラチャ
ダムリにある某有名ホテルで開催されることが決まっていました。

私はその工場の資材調達の責任者でしたから、12月15日という
日程は年の初めに年間スケジュ一ルとして決め、ホテルの会場も
午後4時から8時まで抑えてありました。
11月の初め、そろそろご招待する会社を最終決定し、招待状を送
らねばならないと考えていた矢先、一本の電話がかかってきました。
そのホテルの日本人女性マネ一ジャ一の千穂(仮名)からでした。

千穂の声はかなり深刻そうで、一通りの時候の挨拶を交わした後、
こう切り出してきました。
「実は12月15日の件ですが、4時からご予約をいただいております
 が、これを5時に変更していただく訳にはいかないでしょうか?」
「おい千穂、ワシは1月に予約したんだぜ、大○○○○(私のいた
 会社名)に対して、後から来て時間をずらせと言う生意気なヤツは
 いったいどこのどいつだ」
「ハイ、パンダバス(バンコクの日系観光会社)です」
「パンダバス?あのアホの岡本(仮名)のいる会社か」
「そうです」
「事情を話せ!」

「実は12月15日にパンダバス主催でバンコクの日本人の子供たちを
 呼んで、クリスマス・パ一ティ一を開くのです。
 午後の1時からですが、そのパ一ティに田中星児(ビュ一ティフルサン
 デ一のヒット曲を持つ歌手)が来て、子供たちと一緒に遊ぶのです。
 クリスマス・パ一ティ一の終了が3時、その後、片づけて会場を作り直
 すのに1時間では苦しいのです。せめて2時間欲しい」
「それで4時からのうちのパ一ティ一を5時にしてくれと言うのですね」
「そうです、何とか1時間変更していただけませんか?」

私はすぐに心の中では決めていました。
《そんなこと、なんとでもなるさ、まだ招待状は出していないし》
会社の連中にだって、12月15日の夕方にやるから予定しておいてくれ
とは言っておいたが、詳しい時間帯まで言ってた訳じゃない。
最初から5時開始のつもりで会場を4時から抑えていたんだから、どうで
もいい、千穂の言うことを聞いてやるか。
「千穂、お客様にはもう連絡をしてある、社内の連中も4時で動いている、
 すぐには返答できないので、時間をくれ」
「よろしくお願いします」
千穂の声は本当に困っているようだった。

私はすぐに千穂の話のウラを取るためにパンダバスに電話をしました。
「おい岡本、オマエの会社で12月15日にパ一ティ一やるのか?」
「ええ、やります、子供たちへの景品にカメラを寄付して下さい」
「バ一カ、そんな話じゃない。田中星児が来るそうじゃないか、ところで
 終る時間は何時だ?」
「ヘイ、3時を予定しておりますが、それが何か?」
「あの日はな、1年も前からワシが4時から予約してあったんだ。ところが
 パンダが余計なショ一を入れたから、千穂が1時間時間をずらしてくれと
 泣きついてきた。どうしてくれるんだ、女を泣かすな」

「エッ○○○○さんのパ一ティ一でっか、それはすいませんでした」
「とにかくパンダのパ一ティ一を1時間繰り上げろ」
「それは勘弁して下さい、何でもしますから」
「それじゃエメラルドホテルの宿泊券送れ!」
「分りました、すぐに送ります、その代わりカメラ頼みます」
「分った、2台ばかり寄付するよ」
この事件の余波で、私はとんだ散財をすることになってしまった。

数日たって、千穂から電話がった。
「あのう、12月15日の件はどうなったでしょうか」
「千穂、難しいな、もうお客様に連絡済みだし、日本から来る本社の役員
 のスケジュ一ルも決まっている、これから変更だと大変な」
「エッ駄目ですか」千穂は泣きそうな声を出しました。
「まあ、電話じゃなんだから、今夜そっちに行くよ、何かいい方法がないか
 二人で考えよう」
「まだ、希望はあるのですか」
「うん、とにかく9時頃行く、ロビ一で話そう」
「お待ちしております」
                 (次回へ続く)






(このコラムの前シリーズのバックナンバーは現在整理中です。順次公開していきます。)

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